海外で働くには?海外就職・海外転職に向けた留学戦略

Sacra
こんにちは。海外フリーランスママのSacraです。生粋の日本人で、初めて海外に出たのは二十歳の頃、最初は全く英語も話せませんでした。

本日は海外就職・海外転職に向けた留学戦略について、MBA留学を経て、ヨーロッパとアメリカで過去10年以上働いてきた私の経験をもとにお伝えしたいと思います。

「そもそもどんなきっかけで、どうやって海外就職・転職?」

「海外就職・転職につながる留学とは?」

「そもそもどうやって海外就職を成し遂げたの?」

今回は、そんな感じの疑問にお答えしたく思います。

海外就職を考えたきっかけ

外就職を考えたきっかけは、大学3年時に休学して行った1年間のイギリス留学です。

たまたま奨学生に選ばれ、その当時は、高校の英語の教員を目指していたので、英語をある程度話せるようになりたりという軽い気持ちからでした。

最初は英語を話せないまま留学したので、語学学校にも通い、外国人向けビジネス英語の補習クラスを取りつつ、気ままにロースクールのビジネス法やEU法など法律関連のクラスを受講していました。(かなり勉強しましたが、理解率50%だったでしょうか・汗)

田舎育ちでかなり保守的な環境で育った私には、何もかもが衝撃でした。

何より、自分の意見や考えを常に求められ、英語という言語の特色もあり、「YesかNoか」コミュニケーションの中ではっきりさせなければいけない。

また、人の輪が求められる日本では、特に私の育った田舎では、人と違うこと、異なる意見を言うことは、つまり、スタンダードから外れて生きることは勇気がいることでした。

一方、人種のるつぼである留学先のロンドンでは、人々は多種多様、ヨーロッパだけでなく、アフリカやアジア、中東など、様々な国の友人に囲まれて生活していく中で、これまで様々なしがらみにとわられていた自分に気づきました。

Sacra
何だか、生まれて初めて、「自分は自分でいいんだ」と自分の魂が解放されたような、本来の自分に戻れたような、自由と開放感に包まれました。

そして、海外就職を強く決意した最終的な決め手は、たまたま見たBBCのドキュメンタリー映画です。

ザンビアのエイズ孤児の番組で、貧しい孤児達が窃盗などを繰り返し、街の人々にも迫害されながら、毎日排水溝でうずくまって寒さをしのぎながら寝るというような心の張り裂けそうな場面もカメラが捉えていました。

その子達が「今の僕たちの人生に夢も希望もないけど、もし生まれ変われたら学校に行きたい」と虚ろな目で話すのを見て、もう涙が止まりませんでした。

「学校に行く」なんて日本で当たり前のことは、他の国では当たり前ではなく、夢と希望として語られている。

毎日食べるものや寝る場所もなく、日々生きることで精一杯の子供達が世の中にはいっぱいいるんだ、と、至極当たり前の現実に、海外に出て初めて向き合いました。

Sacra
日本で抱えていた悩みは全てちっぽけなものに見え、この時初めて、このような子供達や人々のために働きたい、とのPassion(情熱)が芽生えました。

この時初めて、日本から出てグローバルに働きたい、できればこんな途上国のために働きたい、と海外就職のスイッチが全開でONになりました。

初めての留学では海外就職に思い切り失敗

初めての留学では海外就職に思い切り失敗しています。

ビザの問題もありますが、何より、ビジネスで通用する十分な英語力もなく、経験とスキルが何もなかったからです。

思いたったら即行動の私は、翌日からボランティアやインターン先など、そのままイギリスに残るために何ができるか、色々調べ、 NPO・NGO含め、特に国際開発系のものに応募できるものには全て応募しました。

しかし、結果は全敗。

1年の留学期間が終わる頃には、英語での日常会話には困ることはなくなっていましたが、大学3年で教職を目指していたため専攻分野も教育や言語文化、バイト以外の職務経験もなく、当然といえば当然です。

そもそも中途採用の案件が多く、未経験の学生で労働ビザもない外国人向けの仕事を探すことは不可能でしたが、私が本当に使える人材だったら、ビザのスポンサーになってくれる企業もいたかもしれません。

日本の大企業など、大学の専攻よりも大学自体のランクや知名度だったり、最終的には本人の資質が就職時に大きく影響及ぼすような気がします。

一方、海外では「何を学んだか」「大学での成績」「ポストにマッチした専門分野と職務経験」などが、第一関門である書類選考で生き残るのに大事です。

海外転職の再戦略→外資系コンサルティングファームで修行の日々

海外での自分の人材価値はゼロだと思い知った私は、海外転職に目標を切り替え、大手外資系コンサルティングファームで経営コンサルタントとして修行の日々を4年ほど送りました。

目標は、海外どこに行っても英語で働けるようになること、どんな組織に行っても通用するビジネススキル、ビジネスの基礎体力を身につけることでした。

イギリスから帰国後、東京の国立大学で就職活動中だった当時、そのコンサルティングファームの人事部長に言われたのは、「うちでは1年で通常の5年分の経験が積めるよ」という一言。

その言葉通り、土日もほぼなく、帰宅は頻繁にタクシーで午前1−2時といった過激なプロジェクトに次々とアサインされ、とにかく四六時中馬車馬のように働いていました。(思えば、過激なプロジェクトしかありませんでした。)

以下、当時の記憶はこちら(ごく一部にすぎません)。

  • 夕方、コンビニに夕食を買い出しに行く時に、同期の女の子と、「22時に帰宅できたら超ラッキーって感じだよね」「(家にほぼいないので)せめて布団干したい」と哀愁溢れた会話をしながら、つかの間の買い出しの時間が唯一の日々の癒しでした。
  • 終電で帰宅の時は、空いた電車の中でパソコンを広げて仕事をしてましたね。
  • 帰宅中や帰宅後も夜中1-2時にチーム内で電話やメールが飛び交うこともありました。
  • 疲れすぎて、似通ったデザインの異なる色の靴を履いて通勤してしまった日もあります。
  • ある日、寝不足で何を思ったか、携帯と間違えてテレビのリモコンを仕事に持って行きました。
  • また、締め切りの前などは、徹夜してオフィスの仮眠室で数時間寝て、そのまま仕事、ということも時々していました。
  • 初めての直属の上司は、徹夜明けのある日、私物やジャケットをデスクに残し蒸発して、そのまま退職しました。
  • あるプロジェクトで、皆で試しに鬱セルフチェックをオンラインで受けたところ、全員プチ鬱でした。確かこんな感じのサイトでした。

(東京の一等地の高層ビルで、ピカピカのおしゃれなオフィスでしたが、気分はまさに灰色、暗黒時代です。)

今思えば、かなりブラックなのですが、この経験のおかげで当時の同期(戦友達)や上司とは妙な連帯感があり、今でも何かあればすぐに連絡を取り合ったり、帰国の際に同窓会したりしています。

Sacra
フランス・スイス・アメリカと海外移住した私のところに遊びに来てくれた同僚や上司も5-6人ほどいますね。素晴らしい人間関係がなければ、あの状況で4年も働けませんでした・笑。

このような激しい下積み経験を経て、あまり物事に動じない「不動の心」と「不屈の精神」が自然と身につきました。

また、3年目で初めてグローバルプロジェクトも担当し、多国籍チームとコラボレーションしながら日本側チームリーダーとして「読み書き会話」全て英語で働く経験も得られました。

ここでいい評価を得られたことで、海外でもどうにかなりそうだ、といい手応えと自信がつきました。

ほぼプライベートはありませんでしたが、後々このグローバル企業で修行したことで、ビジネスの基礎体力がつき、年齢以上に濃厚な職務経験が海外転職でも評価されました。

また、フリーランスになってからも過去の職場からお仕事がいただけるという、いい基盤が築けました。

まさに一石二鳥、急がば回れです。

海外就職に向けた留学戦略の実行-ヨーロッパへMBA留学

周囲の同期も転職などを理由に半分以上やめてしまっていた新卒4年目、ついに海外就職に向けた留学戦略を実行するタイミングがやってきます。

まず、学生時代から付き合っていた彼と遠距離などですれ違いが続き、お別れすることになりました。(→悲しい反面、これで憂いなく海外に行けると、ホッとしたのを覚えています・苦笑)

Sacra
「お前はお前の道を行け」、という声が、自分の内側から聞こえてきたような気がしました。

そして、試しに応募したロータリー財団の奨学生に選ばれたのです。

当然ながら、合格しないともらえない奨学金だったので、本気で取り組まざるをえなくなりました。

結局、国や学問領域に制限があり、この奨学金は直前で辞退するに至りましたが、おかげでビジネススクールに合格できました。

当時、MBAといえばアメリカのビジネススクールが主流でしたが、狙ったのは敢えてヨーロッパ。

プロのコンサルタント的に練った留学戦略としてのポイントは以下です。

  • 最終目標は絶対に海外就職(できれば国際機関)、MBAはそのためのツール・パスポートのようなものでしかない。(よって最優先事項は職探し、勉学はそこそこでよし。)
  • MBAの学費は高すぎて、私費留学では投資対効果はかなり低いのでMBAコストと期間は最低限に抑える(当時、米国の名門スクールは合計2000万、期間が短い傾向にあるヨーロッパは半額以下なのが一般的でした。)
  • 国際機関で働くには3ヶ国語が必要。英語とビジネススキルはある程度身についてるので、MBA期間中に大学で第二外国語だったフランス語をマスターする。
  • (日本のアメリカ企業で働いていたので)できれば次はヨーロッパやその他の地域で働いて、グローバル市場でバランスのとれた人材になりたい。→ 海外就職の選択肢を最大化するため。

よって最終的に、学費の半分を企業による奨学金でオファーしてくれるというフランスのビジネススクールに決めました。

奨学金をもらえるというコストパフォーマンスの良さと、MBAの学位以上に、第三外国語をマスターしたかった私にとっては、最良の選択だったと言えるでしょう。

Sacra
プログラムは2年でしたが、1年半で単位を揃えて、奨学金を出してくれたフランス企業でインターンとして働けるというところが魅力でした。

もしも国際機関で働けない場合は、インターン先のフランス企業に卒業後就職できるのはという狙いもありました。

海外MBA留学中の過ごし方と進路

MBA留学中の過ごし方ですが、1年目の割と前半から、通常のMBAの授業に加え、フランス語の勉強と英語・仏語のレジュメ(履歴書)の作成に着手しました。

Sacra
私の学年で日本人は私のみ、フランスの大企業のパリ本社でのインターンも、フランス語を学ぶには最高の環境でした。

MBAの授業はかなりしんどいと聞いていましたが、正直、東京での仕事の方が何十倍も厳しく、 コンサルティングファームでの業務の方が実践的にビジネスを学べるなという印象でした。

ヨーロッパとアメリカではカリキュラムや印象も違うかもしれません。

一方、ビジネスを学問として、体系的に広範に学べたことや、世界各地にネットワークができたことは良かったです 。

入学当初から、大学の授業そっちのけで、海外転職に向けて色々と試みていた私の最終的な進路の選択肢としては以下でした。

  • ベルギーの大手金融機関(東京支社に数年勤務後、ベルギーに駐在)
  • フランスの大手金融機関
  • 大手米系外資系コンサルティングファームのフランスオフィス
  • 外務省の2年間のプログラムでスイスの国際機関

もちろん、MBA卒として大半の人が飛びつくであろう大手金融機関やコンサルティングファームの待遇はかなり魅力的なものでしたが、私は即決で(一番給料も安い)外務省のプログラムでスイスの国際機関で働くことを選びます。

理由は、そもそも国際開発に憧れて海外就職を考え始めたという経緯もあり、頭ではなく、心が一番ワクワクしたからです。

Sacra
「後悔のない人生を送る」というモットーもありました。

結果、後に金融危機が訪れ、ベルギーの銀行などは破綻、大手金融機関なども大打撃で大量解雇など行っており、心のワクワクに沿って決断して大正解でした。

MBAから政府を通して国際機関へ就職するのはかなり異例のキャリアパスですが、民間企業で働いていた私が、国際機関にキャリアチェンジするにあたって、いい橋渡し的なキャリアとなりました。

この海外転職がきっかけで、スイス政府の出資する非営利のシンクタンク、アメリカで国際機関の正規職員の道が開け、現在のフリーランスとしても仕事の幅が広がることになりました。

まとめ

今回は海外就職・海外転職に向けた留学戦略について、私の経験をもとにまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?

Sacra
海外で働く!と決意してから、仕事に追われたりしているうちに足掛け6年!長い道のりですがあっという間でした。

私自身は外資系企業→留学→海外就職、と王道で攻めようとしましたが、海外就職・海外転職の道は人それぞれで、正解はありません。

デジタルノマドが増えてきている昨今、ビザの問題など解決できれば、好きな国で日本をターゲットに日本語のみで働くことも可能でしょう。

ただ、お気付きの通り、海外の組織でガチのキャリアアップをするには、筋金入りの熱意と覚悟、努力と実行力が絶対に必要です。

今後は、私が日本にいた頃、海外就職を目指してどのように英語を勉強したのか、また、どのように英語でのApplication(仕事の応募書類)を作成し、面接対策をしたのか、具体的なお役立ち情報も書いていきたいと思います。

Sacra
また、特に知りたい分野やトピックなどがあればお気軽に教えてくださいね。最後までお読みいただきありがとうございました。

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